村上ユカ・ユカフェ、はてなダイアリーログ

村上ユカ・ユカフェ、はてなダイアリーの2001年4/6〜2016年2/5のログです

サクランボの話。


この1年ぐらい、自分が押し込めてきた感情に気づいて、癒していく、ということをしてきました。
やり方は至ってシンプルで、例えば、誰かにイラっと、モヤっと、したとします。
それに「何か」を感じたという事は、その人、物事の要素が自分にあるという事。
世界は自分を映す鏡のようになっていて、自分が分かるようになっているんです。
そして。
そのイラっと、モヤっとの原因を探って、癒していきます。


例えばとても急いでいる朝、探しているものがない。
なんでないの!なんで移動してるの!!普通ここにおいておくでしょう・・!カーーッとくる気持ちが落ち着けつつ、なぜ、それでイラついたのかを考えます。
すると、小さい頃、忘れ物をしてこっぴどく叱られた、とか、同級生にいじわるされて靴を隠された、とか、そんな記憶が出てきます。
で、ここからが重要で、そういう自分をゆるす、のです。
ちいさな、昔の、自分はこれが嫌だったんだな・・悲しかったんだな・・って。
なーんだ自分はそんな事で腹立ってたの?小さい奴!とか、とか、靴を隠したあいつーーー!とか思うかもしれません。
でも、見えたら、もう、おわりです。
私もこれ、未だにもやもやしてる事もあるんだけど、本当にその渦中にいる時って見えないんですよね。
でも、ああ、そういう事だったのね、と見えてるんだから、もう、溺れてないから、はい、おわり。


どんな事にも起こってる物事自体にはいい、悪い、はないんですよね。
映画とかでも、一見すごーい悪者だったのが、ある目線からみるといい人だったり、かわいそうな人生を歩んでいたり。
ジブリの映画なんてそういうのよくありますね。
みんな相対の世界で、世界はそういう光と陰、男と女、というセットがあり、それで違いが分かるようになっているんですね。


わたしもそんな事をたくさん抱えてきて。手放せずにいました。
押さえてるから、ちょっとした事で発火する、傷つく。
家族にはすごーく迷惑をかけたと思います。
でも、それも自分が決めたシナリオなんです。
いままで苦しんで苦しんで。
本当は知っている事を、より強く感じたくて、さまざまな体験をした果てに、私は気づきたかったんですよね。
その方が、確かなものになるから。


そんな中から先週の気づきが凄く大きくて、シェアしたくなったので、書きますね。


朝。
めずらしく頭痛がひどかったので、薬を飲もうと、ノンカフェインコーヒーを淹れました。
マグカップに7分目ぐらいのコーヒー。それを見て、
「よくばっちゃったかな」と独り言を言ったのです。ここでモヤっと登場。。7分目ぐらいで欲張ってる?なんで?
ああ、私は、自分を欲張りだと思っているんだ、、でも、なぜ?
その記憶にアクセスするには時間はかかりませんでした。


私が3歳か4歳の時の話。
父が勤めていた会社では毎年夏に海へキャンプへ行きました。
おそらくはじめてのキャンプ。
砂浜の感触や、焚火のゆらゆら揺れる光や熱。バーベキュー、とにかく楽しかった。


そして、帰りの貸し切りのマイクロバスの中、私は補助席にちょこんと乗り込み、ぼーっとしていると、
誰かか
「由香ちゃん、サクランボ食べるかい?」とパックに入った赤々としたサクランボを渡してくれたのです。
私は1パックのサクランボを食べ切りました。
空になったパックを渡すと、「あっ!全部食べちゃった!」と言われたのです。
小さな心には、もの凄いショックでした。
私はいけない事をしてしまった、食べてはいけなかったんだ、欲張ってしまった。自分を責めました。
父は、「あの時サクランボ全部食べちゃったんだよね〜^^」となんども笑い話として語るのですが、それが、私にとって、本当につらかった。
あれは失敗だったとずっと自分を責めていたのです。


でも、今思ったら、何も言わないで渡したのだし、海で遊んで疲れておなかもすいていたのだし、すごくかわいらしい話だった・・。
これがオニギリ10コとかだったら微妙だったけど(ないか・・w)
そして、私はそれで「欲張る事はよくない事」だと、強く自分をジャッジしていたのです。
片方で欲張るのはダメだと自分を抑えて、その反動で、逆に欲張りすぎたり。
そして、自分を責める、の繰り返し。
そんな事をずっとしてきたんですね。
気づいたので、おわりました。


そして、このお話には続きがあります。
今は中学生になった娘が3歳の時、初めての保育園での遠足の時。
私お弁当箱とは別に、タッパーいっぱいのサクランボを「おともだちとわけてね」というメモとともに、持たせました。
私は心の奥底で、サクランボをたくさん食べさせる事は、愛情の表現だ、とか、たくさん食べさせる事で、同じ年頃になった娘と私を同化して癒そうと思っていたんですね。
無意識に。
(結局衛生上の問題で、友達には分けられず、娘も食べ切れず。昨日その事覚えてる?って聞いたら、「覚えてるよ、余計だなあと思った」と…w っておいw!)


欲張るのも、欲張らないのも、自分でもう、選べるんですね。
選べるって事が自由なんだなと思いました。
そんなめくるめく気づきと解放とともに、楽しい毎日をおくっています。
今年はサクランボたくさん食べよう♪